こころの日記

わたしを発信

【昔のこと②】自分がみつからない。

突然、過去を振り返るシリーズ中学生編😉

(小学生編はこちら…☺)

 

こうして、ひねくれた性格になり、そのまま小学校を卒業。

地元の中学校へ入学する。私の通った中学校は、3つの小学校の卒業生が合流?というか集まった中学校だった。小学校と比べて人数が増え、新しい友達が沢山できた。そして、小学校の頃の仲良しグループの子とはバラバラになった。ひと学年の人数が増えれば、同じクラスになる確率も自然と低くなるし、それぞれが新しい友達もできるから当然かもしれない。グループとして集まることはなくなったけど、バラバラになっても個人的に手紙交換をしたりと、仲の良い友達もいた。(その子とは今も仲が良い。)

 

同級生の人数が増えて、色んな人がいることを知った。私の小学校の人より、はるかに飛び抜けて成績のいい人、運動ができる人。逆に、びっくりするくらい不真面目で勉強をしない人。

色んな人がいるんだ。

劣等感は自然と薄まっていった。

 

中学校での私の成績も、割といい方だった。ひと学年200人弱いたが、私はだいたい10位以内にいた。成績が悪い時でも20位以内には必ずいた。そう、中学校からは成績に順位がつく。自分の立ち位置が、私たち子どもの主観ではなくて、大人という絶対的な視点で、はっきり明確に数字で、提示される。

すごく成績のいい人が、他にいくらでもいることを知ったから、別にさらに上位を目指そうとは思わなかった。自分より上位の人と、自分を比べて落ち込むこともなかった。

それより、自分より後ろに、170人以上の人がいることが驚きで、嬉しくて、気持ちがよかった。なにより自分に自信がついた。当時は自覚はなかったが、自分のステータスが証明されて、喜んでいた。

その分プライドも高くなった。

 

部活は陸上部に入った。学校のグラウンドが砂漠なんじゃないかと思えるくらい、灼熱地獄だった真夏日も、手袋をつけても手がかじかむような、凍える吹雪の中でも、懸命に練習に励んだ。(うそ、たまーに練習、手を抜いた笑) おかげで、私は日焼けで真っ黒になり、冬でも黒かった。笑

精神的にもめっちゃくちゃ成長した。辛い時も耐える力、粘り強さがついた。

陸上競技は大会での順位はもちろんだが、自分の記録との勝負でもある。自己ベストを更新するために、毎日ひたすら走る。練習を積み重ねれば積み重ねるほど、大会で自己ベストがでる。自己ベストが出た日は1日喜びに浸った。本当にやりがいを感じたし、楽しかった。また、仲間と一緒に、それぞれ自分の目標を目指して練習したり、駅伝ではチームとして団結したり、充実していた。先輩もとても優しくて、足も速くて、尊敬する人ばかりだった。陸上部は私の誇りだったし、青春だった。

駅伝大会では常に優勝候補の学校だったし(でも市内大会ね笑)、私個人の記録もぐんぐん伸び、度々入賞した。賞状は毎回全校生徒の前で表彰され、本当に嬉しかった。始めて表彰された時は、大勢の前に立たされて緊張しまくった。私は人前に立つのが苦手で、すごく手汗をかいた。でも回数を重ねるとすぐに慣れっこになった。もはや、表彰されるのは当たり前になった。 

入部したての頃は大した記録もなかったが、3年生になると、女子の2番手まで上り詰めた。(ここでも2番目笑)ここまで這い上がれたのが嬉しかった。そして努力は裏切らないものなのだと確信した。

加えて、私は1度もスランプにならず、挫折を知らなかった。

 

勉強も部活もできる自分。小学生のときは何も特徴がなかったけど、しっかりと特徴を持った自分が出来ていく。自分の輪郭がはっきりと見えてくる。

正直、調子に乗っていたと思う。

またプライドが高くなる。

 でも、日々を過ごす中で、私は急に、考えてしまった。私から、勉強と部活をぬいたら、一体何が残るんだろう。何も残らない。空っぽだった。確かに、部活で粘り強さとかは身についた。でもそれが、自分の存在を支えていたわけではない。自分の存在を支えていたのは、成績の順位と、部活の大会の表彰と賞状だ。

他人からの評価がないと、自分を保てない。この頃から気づいていた。

でも、気づいても、だったらどうしたらいい良いのか、なんて考えもしなかった。特に悩みもしなかった。自分で自分を保てなくても、何も不便はなかったし、困ることもなかったからだ。だから、この思いを重要視することもなく、気にすることもなく、胸の端っこに小さくしまって、そのまま過ごした。

 

私はすごく気が強い、プライドの高い中学生だった。

 

つづく。予定。

続いたらリンク貼ります