【ひとりごと】中3の時の小論文を発掘した。
実家の本棚をみたら、中学3年生の時に書いた小論文を見つけました。笑
高校受験に小論文があったので、小論文を書く練習をしてたんですよね。いきなり変な題名を1つ考えて、それでも慌てずに時間以内に文章を書けるか、というよく分からない練習をしていました。いま思えば効果はあったのだろうか、、。
面白い小論文を見つけたので紹介します。
題名は文章書く前にあらかじめ設定した無茶ぶりの題名です。
色々ツッコミどころもありますが、あたたかい目で見て、、😢笑
600字以内!
「食べるということ」について
私は食べるということは、人間にとって生活に欠かせないものであると思う。なぜなら人間は食事をしなければ生きてはいけない、つまり食事とは命の源である。
食事について深く考えてみると、人間の命は多くの生き物の犠牲から成り立っている。魚や牛、鳥といった動物だけではなく、野菜や果物などの植物も一生懸命生きていたが犠牲とされてしまった可哀想な生き物であると言える。このようにして考えてみると、私たちの命はとてつもなく多くの数の命によって支えられている一つの命である、ということが良く分かる。だから、人間はどんな時も一生懸命生きなければならない。頑張らなければならない。
しかしこのようなことを毎日大まじめに考えて生きている人間は一体何人いるだろうか。私はほとんどいないと思う。少し考えれば食べるということのありがたみなんてすぐ気がつくことができるのだが、私たちは生活の中で気がつくことができない。私が今、気がつくことができたのは小論文を書く、という機会がたまたま与えられたからである。
私は人にとって大切なことは、こういった何気ない日常の中にたくさんひそんでいると思う。ただちょっとしたことについて少し深く考えたりすることのできる、心の余裕がある人が人間として多くの事を見つけていると思う。私も人としての大切なことに気づけるような人間でありたい。
以上です!
途中からなんか脱線してるような。うん。でも少しいいこと書いてるじゃん。
最後に心の余裕をもって、大切なことに気づける人になりたい、みたいなこと書いてあるけど、、、、
ごめん、中3のわたし!
そんなこと1ミリも考えずに生きてたよ。
ただ時間に流されて何にも考えてなかったよ!笑
私は勉強とか、部活とか、誰かに与えられたしなければいけないことは割と自分からできる。自分が何をすべきなのか、とか考えなくていいから。決められたことを、大人に求められたことをするだけ。逆に休日とか何をしたらいいか分からない。平日はあんなに休日を楽しみに頑張るのに、休日にいざなると、寝て、YouTube見て、ご飯食べたら1日が終わっている。気がついたらすぐ休日は終わる。私がYouTubeを見るのは、きっとそれ以外に夢中になることや、面白いことがないからじゃないだろうか。
とにかく私は、ただ流れに任せて、特に何も考えずに生きてきたのです。
それは身体に余裕があっても、心に余裕がなかったからだろうか??
うーん。謎。
でも、心に余裕を持つって難しいですよね。
私は忙しくなると心も忙しくなって、余裕がなくなって、いっぱいいっぱいになってすぐ疲れて。時間に置いていかれそうになるから、ついて行くのにもう必死。いつも時間を追いかけている感じがする。
どんなに忙しくても、余裕のある人になりたい。大切なことを見落とさない人になりたい。どうすればいいんだろう。
探そう、考えよう。
ただ何となく流れに任せて生きるんじゃなくて、自分の生き方をきちんと自分で考えて生きたい。
うん、食べること、大事だね。