【ひとりごと】私を苦しめる美徳
私は"頑張ること"と"無理をすること"の違いがよく分からない。
これは昔からだ。
頑張っているつもりは全くない時に、周りから「頑張るね!」と関心して言われる。言われたその時、『あ、私、頑張ってんだ』、と思う。でもあまり実感はない。だけどそう声をかけられるのは、なんだか嬉しかったりする。
私が頑張っているつもりの時も、周りから「頑張るね!」と言われる。でもこの「頑張るね!」には、先程の「頑張るね!」と微妙にニュアンスが違ったりする。いや、同じなのかもしれないが、時々違うように感じるのだ。
〘なんでそこまでして頑張るの?〙
〘よくやるよ〙
〘そこまで頑張らなくてもいいんじゃない〙
〘そこまでして何があるの?〙
〘もっと楽しいことあるんじゃない〙
〘そんなに頑張って何が楽しいの?〙
きっとこの時の私は目の前のことに必死で、遠くが見えていなくて、周りの人が見るとちょっと苦しそうで、人生楽しんでなさそうに見えるに違いない。
これが無理をする、というやつだ。きっと。
私は頑張ると、無理をしてしまうらしい。
自分でも頑張りすぎないようにしようとは思っているのだけど、歯止めが効かない。気がついたら”頑張る"を通り越して"無理をする"のだ。その境界線が分からない。
逆に、そんなに頑張っていないくらいが丁度いいらしい。気が向いたから、ちょこっと勉強しただけなのに、感心して褒められる。嬉しいけど謎だ。
これは私の性格にきっと要因している。
友達から、真面目だとか、堅いとか言われることがたまにある。(相手に悪意はないし、私も不快に思ってないですよ。純粋に教えてくれただけ。)多くの人から言われるからきっとそうなんだろう。
私は盲目的に頑張ることを美徳だと思っている節がある。頭では頑張りすぎちゃいけないと思うが、私の心に、魂に、"(盲目的に)頑張ることはいいこと"と染み込んでいる。
なんでだろう?いつからだろう?
真面目な私は、小学生の時からに大真面目に国語の教科書をしっかり読解し、道徳の教科書もきっちり読んで、教師の求める理想的な回答や感想を書いてきた。真面目な私は本当にこれが正しいことだと思っていたし、気がつけば理想的な思想を自然と持つようになった。頑張ることは素晴らしい。努力をしなさい。みたないな内容ばかりだった気がする。うろ覚えだけど。
中学の時は"一生懸命はかっこいい"みたいなスローガン?が教室の後ろに貼ってあったりした気がする。
義務教育の間はとにかく、頑張れ、努力しろ、諦めるな、努力努力努力、、という感じだったと思う。
いや、別に教育のせいにするつもりはない。みんな似たような教育を受けているわけだし、私の性格と考え方が主な原因だろう。自己責任だ。ただ、真面目な人にとっては、義務教育は少しだけ洗脳っぽくなる、ということを言いたいだけだ。何も考えずに教育内容を馬鹿正直に飲み込んだのだ。真面目ということは、上の人の理想的な思想や課題になんの疑問も持たず、付き合うことができるということだ。それが正しいことなのだと信じきってしまうことだ。その中に自分の思想は存在しない。上の人の理想的な思想がそっくりそのまま自分の思想になるのだ。
自分でも何を言っているかよく分からなくなってきた。(おい。笑)
とにかく、頑張ることは素晴らしいことだけど、だからといって、やたらめったら頑張りまくるのは良くない。要はバランスだ。
盲目的になってはいけない。
今の状況を考えることを放棄してはいけない。自分の状況は自分できちんと考えろ。
自分は自分で大切にしなきゃ。
でも、それでも、勝手に頑張りすぎてしまう。
無理をしてしまう。
私は自分の状況を掴むのが苦手なのかな。
最近は、"頑張る"とか、"努力"という言葉があまり好きじゃない。うへぇ〜ってなる。
もしかして、義務教育の時点でみんな、うへぇ〜てなってたのかな?
私が遅すぎるのかな?!